くろみつ大雄尊 由緒

 明智光秀公は、織田信長の重臣として次々と戦果を挙げる優れた武将でありながら、荒んだ戦禍の地の平穏を祈り死者の供養のために、各地に寺院を建立し家臣や住民への配慮を厭わない名将だったと伝えられます。

 しかし、もっとも象徴的と言えるのは、どんな逆境の中でも自己の 信念を貫き通す強烈な忍耐と精神力を持つ、戦国時代きっての希代の人物だったことです。

 歴史資料が少なく、戦国武将の中でも謎多き人物とされますが、この周山慈眼寺に伝わる墨塗りの黒坐像は、厳しい表情に鋭い眼力を携え、かつての勇将明智光秀その人を指し示しています。

 丹波平定後この地域に善政を敷き、その人柄を讃え崇敬の念から作られた坐像は、やがて逆臣の汚名からか墨で真っ黒に塗られ人知れぬ秘像として、周山の民の手によって今日までひっそりと祀られてきたのです。

 優れた智慧と鋭い眼力の坐像は、遥かなる時を超えて人々を導く「くろみつ大雄尊」として私たちと身近で親しいご存在そのままに、これからもこの慈眼寺釈迦堂においでくださいます。